【起きたことはすべて正しい】その理由を考えてみたというお話

エッセイ

印象に残る言葉のひとつに、

「起きたことはすべて正しい」

という言葉があります。

どんな不幸や理不尽なことも、反対に、思いがけない幸運やラッキーなことも

起きてしまったことはすべて正しい
という考え方です。

幸運やラッキーなことが起こったら、その幸運とかラッキーとかが正しいとか間違ってるとか

あまり考えなさそうです。

他方、不幸や理不尽なことが起こった場合はどうでしょう?

なんで、私にこんな理不尽なことが起こるんだろう? 

こんな理不尽、間違ってる!!

などと思ってしまうのではないでしょうか。とくに自分に非がないケースだと。

なんで、私が、と嘆いて時間をいたずらに消耗するよりも、

起こったことはすべて正しいから、その前提でこれからどうするか考えよう

というふうに、さっさと前に進んだほうが建設的です。

そして、なぜその出来事が起こったか?について、理由を考えたほうがいいと思います。

トートロジーみたいですが、起こったことがすべて正しいなら、起こったことを正しいとすべき理由があるはずだからです。

さて、ここからは、私のケースです。

私は、2月の初旬に、バスケをしていて、ジャンプの着地のとき、アキレス腱断裂という大けがをしてしまいました。
一応、ストレッチとか、アップもしていたんですが。
寒い環境で、月に1〜2回程度しか参加していただけのこともあって、今から思うとケガをしやすい状況でした。

さて、中高の部活のときでさえ、こんな大けがしたことありませんでした。
はじめてのギプスに松葉杖、歩けるまで、受傷後2〜3ヶ月、スポーツできるまで、余裕をもたせると受傷後6〜8ヶ月と、結構な重症です。

とくに、2月いっぱい受傷した左足を完全につけない(体重をかけない)状況をキープしなければならず、外出は通院のみとなりました。
家の中での移動もけっこうたいへんなので、基本的に、座っているか、ベッドに横になっているか、でした。

私は、起こったこと、すなわち、「今、アキレス腱断裂の大けがをして、すべての外出をキャンセルしてひたすら家の中にこもっていること」について、これが正しいという理由を考えていました。

思い当たるのは、私は、結構好奇心が強い方で、学ぶのが好きだし、予定を次々といれる傾向にあり、楽しいと思ってはじめたことでも、まるでやっつけ仕事のように、次々とこなしている、そんな生活になっていたように思います。
自分でも、予定詰め込み過ぎで、一つ一つのイベントをいまいち楽しめない、という矛盾を感じていました。そして、やること、やりたいことの優先付けや取捨選択をしなければ、と思いつつ忙しさにかまけていました。考えるのが面倒くさくなっていたのです。

そんな中、大けがで、外出の予定をすべてキャンセルする事態が起きました!

当然、いきたかったライブやイベントに行けなくて落ち込んだり、職業訓練校の通学ができなくなってしまい、大いに困ったりしました。
しかし、外出時間がほぼゼロになり、反対に、家でブログを書いたり、本を読んだり、考え事をする時間が圧倒的に増えました。

いつも予定パンパンで、消化不良を起こしていた私。
気づいているのに、自分の意思で自分を止められなかったから、ついに、強制的に私をストップさせるために、大けがすることになったのではないか。

ぼーっと考えていたんですが、その考えがなんだかしっくりきました。

もちろん、バスケ楽しくて張り切りすぎてケガしてしまっただけなんですが、ケガの功名として、自分と向き合う時間が強制的に得られることとなったのは紛れもない事実です。
やりたいことの優先順位付け、取捨選択について時間をかけてじっくり考える機会が急にできました!

このように考えて、私は、起きたことはすべて正しい、ということを実感したのでした。

といっても、もう、アキレス腱切ったり、その他の大きなケガをするのはごめんです・・・💦
(ケガする前に内省の時間をきちんととっていたら、ケガをしなかったかもしれません・・・)

なお、ギプスやアキレスブーツの着用が終わったら、きちんとリハビリもするし、体のストレッチもしっかりしようと考えています。
これも、ケガのよい副産物ですね!

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